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芸術家。ミュージシャンの両親のもとに生まれる。twitter : @kohpon999 慶應義塾大学総合政策学部 坂井直樹研究会所属。ブランディングを学ぶ。研究:ソフトパワー戦略、ノマドライフスタイル実践、エンタテイメントとソーシャルイノベーション。在学中に電通・博報堂主催 MIRAI DESIGN AWARD2030受賞、それをきっかけに情報ブランド "NOMAD TV"を創設。Mckinsey & Company主催 Mckinsey School Of Leadership合格、1期生。2012年は、非定住のまま、アーティスト修行中。>>more.

2011年2月27日日曜日

どこにいようとも家の中にいる様にリラックス - ノマド生活によって安定した精神の体得



ノマドをして、早いもので600日以上が経過した。

始めた当初は、3ヶ月程度で終えようと漠然とした目標を持っていたにも関わらず
何だかんだで2回目の冬を超えて、とうとうこんなところまで着てしまった。

そもそも、一種の人体実験としてはじめたこのライフスタイル。





心理学者マズローの五段階欲求でいう下から2番目、
「安全の欲求」をとっぱらってもなお、
その頂点にある「自己実現の欲求」を維持出来たとしたなら?

  1. 生理的欲求(physiological need)
  2. 安全の欲求(safety need)
  3. 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
  4. 承認の欲求(esteem)
  5. 自己実現の欲求(self actualization)

仮説は、もし、安全の欲求を満たすことなく、
その上に連なる欲求を維持出来たとしたならば、
より確固たる自己実現への対峙、安定した欲望のコントロール、
あらゆる行動の根本原理が変わるのではないか。

自分の創造性の限界を短期間で破壊し、
最も最高の成果が出るトレーニングになるのではない。

そう、予想してこの生活を始めた。


結論から言えば、この人体実験は大成功で、
ピアノの発表会では震える手が止まらなかった弱い精神の僕だったはずが、
数百人の学生を前に講演することで緊張ひとつしない心持ちに変わった。

いかなる環境にいようとも、誰といようとも、
自分自身を受け入れ認め、リラックスし続けられる自信の体得。

家(自分のプライベート空間)に帰ってきた時に、
なんとなくほっとするあの感覚が、
常にどこにいようとも存在し続ける毎日。

この生活は、常に緊張しがちでストレスに晒されていると思われがちだが、
実際はそうではない。
ある一時を堺に、全世界が、自分の家かのような感覚に反転する。
それは、見慣れた景色の色がモノクロからカラーに変わる以上の変化だ。


家無し生活を始めて200日くらいの時期に、以下の様なツイートを僕は残している。


 "当初の仮説では、アイデンティティを保持するのに、環境の力を借りているのがデフォルト=弱い、環境の力を取っ払うことで、純粋な自分を発見し、確固たるアイデンティティを持てる様になる。それがクリエイティビティを発揮するにあたってポジティブに働くだろう。て考え。これが、クリエイティビティにどう影響してるかは、これからですな。人体実験の中間報告としては、アイデンティティのリミッターが外れた感じです。こっちのが好きです。"


つまり、家を持っていたときは「この西麻布の家じゃないとこの作業が出来ない」とか、
環境やモノに自分の創造性が確実に依存していた。


◯◯がないと、つくることが出来ない。


そんな情けないクリエイティビティなら、捨ててしまおうと思った。
場所やモノに自分のアイデンティティ保持を任せていることが
もどかしかった。


この中間報告のツイートからプラス400日が経っているが、
クリエイティビティの成果としては、
自分が作りたい作品を実現させる能力は爆発的に伸びて心地良い。
ある一媒体を表現するというスキルに依存していないので、
創造性の対象も広がった。


思えば、家を無くした最初の一ヶ月は、
さすが20数年間無くしたことのない、"家"、
重度のアイデンティティクライシスが心を襲った。
最初の3ヶ月は、精神をモノや場所から独立させることに全力を尽くした。


当時を思い出すと、自分は何かの病気にかかっていたのかもしれないと思うほど、
今とは違う精神状態で、あらゆるものに依存していたから面白い。


今や、地球上どこにいようとも、自分の家の中を闊歩する感覚。
人ごみに来ようとも、「みんなが家の庭に遊びに来ている」と錯覚する視点。
どこにいようとも家の中にいる様にリラックスし、
僕は今も、自分の最も安定する場所で、この文章を書いている。


自分の心に対する人体実験。
僕が緊張することは、今後の人生、ほとんど、無いのだろう。



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* ノマド600日記念パーティーを開催します。
2011年3月30日@六本木
どなたでも歓迎です。詳細はこちらから。

2011年2月26日土曜日

ノマド同士の初対談 ノマドはどこに向かうのか

先日、「ノマドは流行するのか」でも取り上げた
編集者の米田智彦さん( @Tomohiko_Yoneda )と会うことが出来た。
ノマドというキーワードは一部で流行してきたとは言え、
まだまだマイノリティで、仲間がいると、本当に新鮮で嬉しい気持ちになる。





その日は、智さんがいる、クリエイティブユニットSPREADのお二人、
小林弘和さん( @HaruSPREAD )と山田春奈さん( @KobaSPREAD )の事務所にお邪魔してきました。

席につくなり、智さんのUstがスタート。
ノマド同士の初対談が始まりました。





このブログにも書いた「場所エネルギー」のことや、
家を無くせば健康になる話、
モノのコントロールの話から、
これからのノマドがどうなるのかといった話、

今までに、人と共有することが出来なかったトピックを話せ、
お互い異なる経験から、新しい発想を導き出せることの楽しいこと。

時間も忘れ、とにもかくにも完全ぶっつけで話し続け、
なかなか面白いものが出来たのではないかと思います。

その後も、SPREADのお二人も加えて
最近の学生の傾向、問題点や、これからの日本のこと…
人生の先輩が3人もいらっしゃる中、
僕ひとりにはもったいないくらいの情報が飛び交い、
むしろこちらの方をUstしたくなる衝動にかられていました。

智さんとは、ノマドトークショーをやろうなんて話が出たり、
今後の展開が楽しみです。


果たして、ノマドはどこに向かうのか。

2011年2月21日月曜日

ノマドとは? ノマドを知ることが出来る書籍一覧






"ノマド"って何だろう?そう思っている人は多いはずだ。


 僕も、家無し生活を始めた当初、ノマドという言葉を聞いたことがなかった。

 「ホームレスになります」と友達に言ってまわっていたが、

 その表現もしっくりきていなかった。

 

 そもそも、時間の有限性を乗り越えたいとか、

 住居というものを取り除いた時の自分の精神性の変化だとか、

 モバイルツールの発達による新しい人間に生き方の可能性を導き出したいという

 いくつかの目的があって始めたことだったのだが、

 それを示す言葉には、当時出会うことが出来ていなかった。


 僕が"ノマド"という言葉を使い始めたのは、

 家無しになって150日程たったころ、

 クリエイターの高城剛さんの雑誌インタビューがきっかけだ。

 

 家を無くし、持ち物を捨て、世界を飛び回る生活を送りながら、

 先端の電子機器を駆使している真新しい生き方を語っていた彼の姿に

 とてつもなく気持ちが高揚したのを覚えている。


 これか!と思った僕は、その日から自分の生き方を「ノマド」と称し、

 調べれば調べるほどにノマドというライフスタイルの魅力を確信し、

 600日も続けることになったのである。



 以下、僕がノマドを知る際に参考にした書籍を15冊精選し、リストにした。

 ノマドに興味がある人に、ぜひオススメしたい。



■ 

  


実際にハイパーノマドスタイルを展開している数少ない日本人。 
ノマドについてはもちろん、世界跳び回るノウハウや、

デジタルツールや世界の流れについて。

最もオススメの書籍。

*そんな高城剛さんの新刊:ノマドについての記載もある模様


■ 


ノマドについて予測をした張本人ジャック・アタリ氏の書籍で、
高城剛さんが”ノマド”という言葉の引用元でもある。
ジャック・アタリ氏はフランスの経済学者で、
最年少で大統領補佐官になったヨーロッパ最高頭脳と言われる人物。
ノマドについて詳しく知りたい人にうってつけ。


■ 


なんと、1989年にノマドの到来を予測した書籍。

日本の江戸時代のライフスタイルと、現代社会を対比している。

建築家、黒川紀章さんの先見の明が発揮された一冊。



■ 

  


ノマドの中でも、具体的なデジタルツールの使い方に特化した
ノマドワーキングのハウツー本。
家やオフィス以外のカフェで作業をしたり、
モバイルツールを駆使した仕事術であったりの指南書。
ノマド入門編。


■ 
   

21世紀に、どういう人たちが世界で求められ、
活躍していくのかということが書いてある本。
ジャック・アタリ氏の「21世紀の歴史」にも
クリエイティブクラスが記載されていたりと、関連性は深い。
「ハイコンセプト」は言わずと知れた名著。
右脳左脳、デザインする人間等、
これからを生き抜く必修科目。


■ 

  


ノマドが発生した時代背景が読み取れる3冊。

フリー(無料)の文化、シェア(共有)の文化、デジタル(電子)の文化、

この3つの文化を知るとノマドの発生を現代から読み取ることが出来る。



- -
* もし質問があれば kohpon@gmail.com までメールか、
twitter @kohpon にいただければ、投稿に反映します。
ノマドについて興味ある方、お気軽にご連絡ください。

* 公式サイトがオープンしました。
KOHNAKAGAWA.com

2011年2月20日日曜日

ノマドは流行するのか - ライフスタイルの多様性





ノマドは流行するのか。

2009年6月、僕が家を無くした当時はほとんどの人がこの生活に疑問を抱いたが、
今ではどうやら違うらしい。

フリーエディター米田智彦さんという方が、家、オフィスを持たずに
トランク1つで生活をしている。
働きながら社会と接続し、遊動することをテーマとしていると言う。

http://nomadtokyo.com/


友人の近藤哲朗さん ( @tetsu_)の以下のツイートで知ったのだが、
大人の人がこういうことを始めてくれると、なんとも感慨深いものがある。
学生がやっているだけ、というよりも、説得力が増して、自由の追い風になるからだ。





事実として、若者のライフスタイルは日々多様化している。


後輩で友人の @_NORO_NORO
僕が家無し生活200日目頃に出会った。
当時「僕3ヶ月ほど野宿しています、今から会えませんか」と、
twitterで話しかけてきのが始まりで、
慶應の1年生で、いくつかの共通項もあったので、会うことにした。

深夜1時頃に、SFCの特別教室まではるばる彼はやってきて、
大きなバックパックの中からパッキングされた食料や使い古された寝袋、
パソコンにiphoneと、野宿グッズを次々に見せてくれた。

このライフスタイルは必ず来るから、お互い続けてみようかなんて話し、
彼はその後も野宿を続け、浮いたお金で海外を飛び回っている。
今はシベリアにいるそうだ。


今の話は極端過ぎる様聞こえるかもしれないが、
驚くことに、最近「ノマドを始めました」という人を良く聞く。

先日のロルモフォーラムで出会った学生にもいたし、
最近女性でもこの類の生活を送っていると、twitterで知り合うことが出来た。

総じて言えることは、定住というライフスタイルを捨て、
新しい生き方、住み方、住居との使い方を模索している若者のあり方が見て取れる。

インターネットやモバイルツールの進化と共に育ってきた
1980年代後半〜1990年代の世代は、強烈な変化の渦を生きてきている。
ライフスタイルの変化が生じて然るべき時代なのだろう。



twitterのキーワード検索で、常に"ノマド"という話題を追っているが、
最近の伸びには目を張るものがある。

それと同様に伸びてきているのは、"シェアハウス"というキーワードである。


一種、シェアハウスもライフスタイルの変容だ。
ひとり暮らしという住み方を捨て、
シェアハウスという住み方を選ぶ若者が増えてきている。

今では無くなってしまったが、「シェアノサイト」という
シェアハウス向けの仲介サイトが、2007年度に立ち上がった。
有名企業に務める、
1980年代前半に生まれた格好の良い大人たちがそれを作っていた。
その後、テレビドラマでシェアハウスが取り上げられたりしているうちに、
学生の一部がシェアルーム、シェアハウスを積極的に取り入れるようになった。



有名どころでは、知的な魅力のある「まれびとハウス
東大慶應をはじめとする、名だたる大学の学生、院生が住人に多い。

住人プロデュースのイベントやワークショップも随時開催されており、
2010年のはじめに立ち上がって以来、
シェアハウスの先駆けとして来訪者も飛び抜けて多い。

友人の @yohei917 さんが住むと聞いて知ったのだが、
住人各々に強烈な個性があり、知性の集合体といったイメージがある。



早稲田の「いなほハウス」も、出来て長い。
ワカモノの震源地というコンセプトを持ち、
日々アクティブな有名大学の学生が入れ替わり立ち代わりしている。

同期の友人が何人か住んでいるのだが、
まだtwitterやfacebookが無かった、mixiの時代に
mixiコミュニティでのイベントや
日記交流等でネットワークを築いていた層が多い印象がある。
住人のひとり、 @gen1988nkgw とも、
東京に来て間もない時期に、mixiで知った社会起業家交流会で知り合った。


とにかく、ここにいる学生は元気だ。
ここに訪れる時は、国際問題に取り組む友人と多くで出会う。
各々住人が世界各国を飛び回り、若々しく、
ドアと窓からどんどんと人がなだれ込んできている。
僕も、友人と一緒にずかずかとお邪魔したことがあるのだが、
なんともオープンな空間だった。






その他にも、慶應SFC生がつくった湘南台の かもめハウス も面白そうだ。
まだ出来たばかりだが、どうやら大学より研究対象としても注目されているらしく、
後輩たちが作っているので、心底応援しているシェアハウスのひとつだ。
近くに、ぜひ遊びにいきたい。

SFCも、完全寮制を目指しているというので、
やはり、"共生"というのは、今後の重要なキーワードなのだろう。
アメリカの大学は寮生活のところが多いが、
それをシェアハウスで疑似体験しているのかもしれない。



僕の予想は一貫して、ノマドも流行する、シェアハウスも流行する、
ライフスタイルは今後多様化の一途を辿る。
そう思っている。

ただ、ノマドは一定の割合で頭打ちが来るようにも予感する。
全員がノマドになってしまうと、ノマドにとっても色々とまずい。

シェアハウスは、今後も増え続け、
ノマドの中継地点としても機能していくのだろう。

ノマドは日々の冒険の中で得た情報をシェアハウスで共有し、
シェアハウスは住人、そして来訪者とのコミュニケーションで、
お互いに、情報密度の濃いアナログコミュニケーションを活性化させていく。


一人暮らしは、古い。
勉学する上でも、活動的になる上でも、
ノマドやシェアハウスといった新しいライフスタイルが有用性が高い。
実際に、僕はシェアハウスもノマドも体験したのだが、
一人暮らしよりも人生は豊かに、より面白い毎日に変わった。


では、ノマドやシェアハウスの次はどうなるのだろう?
時代の流れの速さを考えると、その次が来るのも、そう遠くはない。




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2011年2月16日水曜日

アナログコミュニケーションのススメ





家を無くして思うことは、
アナログコミュニケーションの時間が激的に増えたことにある。
デジタルコミュニケーションよりも密度の高い関係性が築け、
情報量も激的に多い。

twitterやfacebook等のツールによって
コミュニケーションが可視化され、
スピードも加速した。

しかし、デジタル上のコミュニケーションは二進数上でのやりとりでしかなく、
実際に"会って話す”ことを超えることはなかなかない。

このブログもそうだ。
こんな、画一的な文字で伝えられることなんて、
単調で、たかだが限られている。


それよりも、目を見て、その二人の間の空気を感じ、
決してデジタル化出来ないような接触にこそ、
何にも勝るコミュニケーションが生まれるのではないかと感じる。

家をなくすことにより、多くの人と出会い、
話し、新しいことを始める機会に恵まれた。
自分の家に帰るという選択肢を喪失することによって、
誰かの家に行くことが多くなったり、
カフェで誰かと話すことが自然と増えたことが始まりだったが、
今ではそれが楽しくて、家のない生活を継続している側面もある。

常に動き回れば、いくつものコミュニティを駆け回れる。
人間の時間は有限なので、その深さはどうしても限界はあるのだが、
多くの人と知り合え、そこで情報交換が出来ることによって、
今まで見たことのない混沌とした世界を知ることが出来る。

もちろん、その出会いのきっかけとして
デジタルコミュニケーションが機能することもある。
また、デジタルコミュニケーションだけで、
そのような関係性が進んでいくことも、もちろんある。

しかし、やはり、二進数を超えた情報量の交換にこそ、
全く新しい世界への入り口が隠されているのだ。
発想の奇跡や、お互いの信頼感は、
多くの場合、アナログコミュニケーションによって生まれてきた。



この600日間、多くのプロジェクトへの参画の機会を得られたのには、
このコミュニケーション情報量の背景があるのだろう。
家をなくす前とあととでは、アナログコミュニケーションの量は
5倍以上に増えた。
"自分の家"という、場所的制約を受けないことから、
会いたい人の場所へ行きやすいような予定も組める。

まとめると、より刺激的で面白い世界へ飛び込むには、
アナログコミュニケーションを大切にすることが必要だ。

そのためになら、僕は家を無くすことは厭わないし、
交通網が整備された都心、走りまわらない手は無い。

本を読むよりも、twitterをするよりも、ネットで情報を集めるよりも、
何よりも密度が濃く、文化性も高い、
高度で複雑な情報というものが存在する。
いかなるコンピューターにも存在しない独特な処理能力を持つ、
何十年もの時間を蓄積した人間の中にこそ、奇跡がある。


デジタルコミュニケーションとアナログコミュニケーションのバランス、
それをうまくコントロールするところに、
人生を面白く刺激的にするコツが隠されているのかもしれない。


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2011年2月15日火曜日

"寿命"という有限性を超えていくために




僕は、人間の可能性は無限大だと信じている。


どんなに不可能だと思われるアイデアであれ、
それが、未来を創っている。

しかし、人間は、決して超えられない限界も持ち合わせている。
それは、寿命だ。人は、必ず、いつか死ぬ。

よく人間は平等だ、と言葉では言うが、
実際は、決してそうではない。
しかし、"生きる"とは、時間が限られているという点において
絶対的に平等となる。





無論、その定義にもよりけりではあるが、
生まれる環境も違えば、先天的な能力も違う。
しかし、やはり、皆いつか死ぬ。
その長さは違えど、
必ず終わりがくるということだけは、皆一緒だ。


しかし、やりたいことは止めどない。
あれもしたい、これもしたいと思えど、時間という資源は限られている。
どれが一番かを選択し、その鋭さを増して行かなければいけない。

ただ、不老不死の命は地獄の始まりだろうから、必要ない。
物語と一緒で、だらだら続ければ良いというものではなく、
人生は、終わりあるからこそ、美しい。
やはり、その制限の中で、
寿命という有限性を超えていく挑戦をしないと、
僕は死ぬ時、後悔してしまうに違いない。





インターネットによって、あらゆる情報がデジタル化され、
享受出来る情報量が爆発的に増えた現代社会。
高度経済成長を経て、基本前提はすべて整った中、
何でも出来る自由が広がるこの時代において、
時間の密度を濃厚にする自由を持つ。
それが、今を生きる若者の特権だ。

無論、その自由さは心に重くのしかかることもある。
欠乏が欠落した時代は、「何がしたいのか」という答えを求められる。
つまり、自己対峙をしなければならない。
自分の欲望をダイレクトに求められること、
それを表現することは簡単ではない。

今日言われている、教育の最もの問題点はそこではなかろうか。
時代に反対する教育を、幼児期から続けてしまっている。
それでは社会に出た瞬間、突然現れる自由さという重力を前に、
苦しんでしまうのは、納得がいく。

僕は、中学の授業はほとんど真面目に聞かず、
幸いにも、高校にも行っていないので、
その洗脳を受けることはなかったのだが。
客観的に見た高校制服は、どうにも奇妙なものに見えた。





家を無くしたひとつの理由は、そんな時代の流れを感じたこともあった。

当時、六本木ヒルズとミッドタウンを望む西麻布に住んでいた僕は、
日々、生きるということとは何か考えていた。
この21世紀を生きる責任として何を果たすべきなのか。
2009年初頭、twitterはまだユーザー数も少なかったが、
その存在から、今のようなコミュニケーションの形は容易に想像できた。

激的に色んな人と知り合っていける世界。
生身の人間が、光回線を伝う情報の様、
アナログ世界を飛び回るような毎日。

今まででは考えられなかった時間の密度、
家でぼーっとテレビを見るのとは比べ物にならないくらい
エキサイティングな経験があるに違いないと確信した。

そう考えたとき、「住む」という生き方に疑問が浮かんだ。
当時は、「家を無くす」と言うと、皆が反対したし、肯定する人は少なかった。

しかし、今はどうだろうか。

この生活をはじめて以来、「ノマドをはじめました」と言う学生何人と出会ったか。
企業の社長で家をあえて無くした人がいると聞いたりもする。
シェアハウスなどの流行もまたそれに関係している。
情報量の話と絡めれば、ほとんどの人が深く納得してしまう世の中。
学生唯一のノマドと、多くの人に興味関心を持ってもらえるようにもなった。






そのように、ライフスタイルが多様化する背景の根本は、
「"寿命"という有限性を超えていくために」、ここにあるように思う。

本能的に、時代の流れを読み取り、
より常に終わりに向かう有限の時間の密度を高めよう高めようと、
人々が動き始めた始まりではないだろうか。

ライフスタイルは、人生に密接に結びつく。
その変化を楽しむ若者が増えてきていることも、また面白い。

これからの世界は、より複雑化していく。
それにつれて、寿命の有限性を更に、超えていけるのではないか。

だからこそ、やはり、
人間の可能性は無限大だと、嬉しくなる。

僕よりも下の世代は、
僕の世代よりもその可能性が爆発しやすい、よりカオスな世界を生きるのだ。


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2011年2月14日月曜日

三十槌の氷柱を撮影してきた:「四季 _ SHIKI」




三十槌の氷柱(みそつちのつらら)を撮影してきた。
現在製作中の作品、「四季 _ SHIKI」の取材だ。


埼玉県 奥秩父の冬の名勝で、
都心からは片道3時間くらいで行くことが出来る。
しんしんと雪が降っているのを見て、
今しかないと、いつもの15kgのバックパックを抱えて出発した。





前記事の場所エネルギーの話にも関連して、
そのエネルギーの強いところは、やはり良いものが生まれる。

幸いにも、雪がふっていたのと、到着が夜であったことから、
ほぼひとりで三十槌の氷柱を独占することが出来た。
その空間とじっくり会話すればするほど、無数の表情が見て取れる。





そもそもこの「四季 _ SHIKI」という製作途中の作品は、
日本の四季をテーマにした、総合芸術作品を想定している。

場所エネルギーの存在を確信しているので、
強いエネルギーをもつ季節の象徴読み取り、選択すれば、
自己とのコラボレーションを最大化し、展開することが出来る。

加えて、海外市場をメインターゲットにした作品制作であるため、
日本という国に特化集中した鋭さを出したい。





この家のない生活は、四季を感じるのにはこの上ない生活だった。
外にいる時間が多く、日本にいることが多かったこの600日は、
誰よりも、特に都心における四季を体感することが出来た。

おかげで、寒さには相当強くなっていたようで、
吹雪の中、2時間、頭に雪を積もらせながら撮影したがピンピンしてる。
その時の装備は、薄いTシャツ、
少し集めのシャツに、夏物のスーツ、薄いマフラーのみ。
風邪もひかないし、寒さを苦痛とは思わなかったことを考えると、
どうやら僕の身体はノマド生活を経て少し進化したらしい。

足場が悪かったので、15kgのバックパックを下に置くわけにもいかず、
それを抱えたまま撮影をしていた。
さすがに次の日には筋肉痛になったが、
撮影中、体力が尽きることはなかった。
常日頃持ち歩いていたかいあってか、どうやら身体能力も相当上がったらしい。
その撮影を終えたあと、そのまま3時間かけて都心に帰って、
結局は友人と会ったりと、夜中3時頃まで活動していた。
ノマドライフは、体力を付けるのにも有効らしい。





途中、事故に巻き込まれたり、
いくつかのトラブルがあったのだが、
なぜかそういうのに遭遇する時ほど良い結果が得られたりする。

強烈なエネルギーの衝突は、
おかしな世界を引き起こしてしまうのだろうか。

撮ってきた氷柱の写真はポートフォリオにアップしている。
もし興味のある方は、ぜひ!

場所エネルギーの存在

600日も家がないと、"場所エネルギー"を感じ取るようになる。

"場所エネルギー"とは完全に造語であるが、
近い未来、この概念は当たり前になると確信する程確かなものだ。
ノマド生活をはじめたことで得られた、大きな財産のひとつで、
おそらく一部の人は無意識のうちにそれを感じ取っているとも思う。

その言語通り「場所」の「エネルギー」なのだが、
簡単に言ってしまえば、地域は各々異なるエネルギーを発していて、
人間はその場にいると、そのエネルギーを常に享受し続けていることを示す。



例えば、六本木であれば情報に溢れ、人間の高度な欲望が入交ったエネルギーが渦巻き、
何か新しい刺激的な発想がほしい時、そのエネルギーは力になってくれる。



反対に、じっくり本を読んだり、瞑想に勤しみたい時、
六本木の場所エネルギーは反発する。

そういう時は、都内であれば文京区あたりが良い。
本郷三丁目あたりは、東京大学もあってか、地に足がついたエネルギーが漲っている。
刺激的で混沌としたインプットをしっかりとアウトプットに繋げたい時、
僕はよくその場所を選択した。

このように、その時々の自分の作業内容や得たいエネルギーを考え、
その日訪れる場所を決めていくと、
場所エネルギーは追い風となって背中を押してくれるのだ。

今はまだその概念は当たり前ではないが、
そのうち、現代の非科学は未来の科学となって、
場所エネルギーを数値化、可視化出来る装置が現れるかもしれない。
様々な場所で生活した感覚として、その存在を今、確かに感じている。



今までのことがエネルギーの色だとしたなれば、
そのエネルギーの大小ももちろん存在する。

場所によって、エネルギーの強さは違う。
むしろ、色合いよりも、
僕はその大小を考えている場所を選んでいると言っても過言ではない。

穏やかであれ刺激的であれ、
エネルギーが満ちる湖のような場所がところどころにある。
既存の言葉で言うなれば、パワースポット。

それに関しては、似た研究結果もある。
社会学者リチャード・フロリダの提唱するクリエイティブクラスが集まる
クリエイティブ都市の概念は、それに近い。

その場所エネルギーを感知する能力は、常に場所を移動していることで
培うことが出来た。
全く新しい視界がひらけた感覚であるが、600日もすればそれが普通になる。

ダイエットに勤しむ女性が、カロリー計算を常にしてしまう様に、
耳が聞こえるなら、常に音を聞くように、
鼻がきくなら、常に匂いを感じるように、
場所の持つエネルギーを読み取り、感じ、選択し、その場に行く。

まるで第三の目が出来たように、そのエネルギーの存在を感じる毎日は、
なかなか面白い。
その戦略が使えるだけで、人生の持つ有限性を、
すこしばかり超えていける希望を抱く。


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2011年2月13日日曜日

家の無い生活で、講演する

先日、ロルモフォーラムというイベントに、学生ゲストとして登壇した。








史上最大級の学生交流会と銘打ち、
学生団体キッカケさんが主催。

ROLMOという、学生のロールモデルを取材するというコンセプトを持つ
1万部発行のフリーペーパーに取材されたことがきっかけだった。
* 現在では、vol.2を10万部発行、vol.3も製作中とのこと。




このように、まさか家の無い生活の経験が取材対象になったり、
400人もの学生の前で話すことになるなんて、思いもしなかった。





しかし、実際にフィードバックをもらうと思いの外反応が良く、驚いた。


たしかに、このライフスタイルを600日継続したことによって、
思いを語る際のプレゼンテーションに説得力が出たり、
今までの自分にはなかった自信、思いに深みが生まれいていて、
全く準備せずにプレゼンしても自然と言葉が出てくる感覚を知れた。


しかし、それが自分だけの満足とならず、
「自分も何かしなければならない」と、目を輝かせてくれる人に囲まれた時、
ああ、本当に続けてきて正解だったなあと、ほっとした。


人の見たことのない世界、やったことのないこと、
未知の領域に足を踏み入れる覚悟は、自然と、人に刺激を与えるのか。

やはり、安全なところだけにとどまり、冒険せずに守りに入ってしまう姿よりは、
僕は、例えリスクをとったとしても、好奇心に貪欲に突き進む姿に格好良さを感じる。

ライフスタイルは、毎日のすべての事柄に関係することであるがゆえ、
その人の全てを体現してしまう。
その様に、大きな影響を与えるものであればあるほど、人生変化の振れ幅が大きい。
その振れ幅の大きさに、人は多くの場合、闇に包まれたその先に恐怖を感じてしまう。

しかし、その恐怖は、行動や精神統一によって解決され、
乗り切りさえすれば、ひとつ、自分の壁を壊すことが出来る。

「これは不可能だ」という思い込みを破壊することは容易ではないが、
何事も、やれば出来る。

この言葉は、家を無くす前から使っていたが、
やはり、本当に行動として示せると、その言葉のイメージは、
白黒から彩り鮮やかなものに激的に変わる。







刺激は循環し、また、刺激を生む。
僕は、刺激が大好きなので、刺激的な人生をおくり、
刺激を発信し、それを受信出来る人間で、居続けたいと思う。

2011年2月8日火曜日

家が無い生活の中身

そもそも、家が無い生活というのは、どういうものなのかとよく聞かれる。

一言で言えば、効率的で、日々の情報インプット量が激的に増加する。

家でテレビを見ていつの間にか時間が過ぎてしまうとか、
ぼーっとしてしまうということが無い。
常に自分が外界と面し、いつも違う情報を吸収し続けられる、
そのような環境を強制出来る点において

せっかくなので、いつかの一日を洗いざらいに思い出し、
その説明にかえてみようと思う。




9時に、SFC(大学)の研究室で友人と共に起床。
前日は、映画を見ながら作業を朝方6時までやっていたので、
睡眠時間は約3時間。
大学のシャワーを使って目を覚ます。


バックパックにパソコンや着替え、
図書館で借りた2〜3冊の本もろもろを詰め込むと、15kgになる。
この大きなバッグと、いつも友達。

メールチェックや朝の英単語チェックなどを経て、
都内でミーティングがあるため、そのための資料を作成、
印刷等の準備を整え、
11時、はるか湘南の果てから、都内に向けて出発する。

行きの電車では借りた本の1冊を読み終え、
ミーティング場所の恵比寿に到着。
そこで、2時間程度でミーティングを行うが、
内容は公開することが出来ないので、ここでは書けない。
その次は、勉強会のため西麻布に向かう。

電車を使って恵比寿から広尾へ移動。
ミーティングに来ていた1人を連れ、
そしてもともと約束していた友人1人とで西麻布交差点に合流。

16時、とある地下にある、格好良い内装の会場は建築事務所に到着。
ここでやるからこそ生まれる、インテリジェンスがある。
お世話になってるお姉ちゃんに挨拶し、
友人たちを紹介し、簡単な近況報告会を始め、勉強会の準備。

テーマは、「時代を読む」。
見えない未来、21世紀とはどのような時代なのか、
そしてこれから求められる人材、パラダイムシフトとはを考える。
新興国と成熟国の関係性や、
科学技術の発展による未来予想、
人口構造の変化からの大衆増加の背景を分析した上で、
未明の未来を探り当てるということ。
何を成し遂げるにも、この時代の流れは恐ろしく早い現代において、
先見の目は欠かせない。
その感覚や知識インプットは、どのような領域への目標であれ、
必修化されてきていると、再認識する。

そのまま懇親会へと流れ、ときどき会える友人たち、
お世話になっている人たちとの会話を楽しむ。
やはり、いかなる会であれ懇親会が楽しく情報が多い。
一方的講義や質問でのコミュニケーションでは限界があるが、
アルコールという魔力のふりかかった空間は、
公の場では明かされない宝箱があけられたりする。

その途中、電話が繋がった中目黒の友人と会うことになり、
賑やかで華やかな会場から移動。

友人との久しい再会を喜びながら、
いつも彼と会った時に行く、不思議なショットバーに行くことに。
不思議というのは、時々ある、エネルギーにあふれた飲食店だからだ。


良いお客さんが集まる良い雰囲気の店、というのは不思議とあって、
それは内装がどうとか、お金がかかっているとかではなく、
目に見えない何かが働いている。それが、そこにはあった。

かつ、マスターとママの計らいで、そこにいるお客は全員友達になるという
オマケ付きで、ユニークな人達の会話をつまみにお酒を飲める場所だ。
社会人10年目〜から、企業の社長、著名人有名人が足を運ぶ場所なので、
20そこそこの僕らはいつも最年少。
「色々教えてあげるから、ここから飛び立っていってね」と、
優しいママの言葉に甘え、いつもお世話になっている。

入った時には、紳士の鏡ともいえる穏やかなIT社長とその奥さん、
そして、5人グループの元気なおばさま方の間に僕らが挟まれることになった。
まず驚いたのは、おばさま方が最新iphoneを片手にtwitterを駆使し、
コミュニケーションをとりながら情報発信をしていた。

あとに、入れ替わり立ち代わり、途切れることのないお客の出入り。
なぜかここに来るときに聞く話は、今の瞬間に必要なことが多い。
そんなこんなしているうちに、3時を回っていたので、
友達の家に転がり込み、少し語らって、そのまま寝る。


次の日も朝一で予定があり、同じくらいの情報量の中を生きた。
加えて、予定の合間合間にtwitterやfacebook、mixiやメール、
モバイルツールを使ったデジタルのコミュニケーションを行う。



いつも違う場所に帰り、
いつも違う人と出会う。
アナログで飛び回り、デジタルでも飛び回り、
その重力に耐えられる体力と身体、
それが毎日の当たり前として機能する日常。


それが、この家の無い生活の中身。


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* 本ブログは、出版甲子園で出会ったパートナー、
安藤ひろし @hurachi11 がサポーターとして活動してくれています。

600日もの間 なぜ定住しなかったのか



なぜ家を無くしたのか、と聞かれれば、面白そうだったから、と答える。




初めて会った人に「家が600日無い慶應生です。」なんて自己紹介すると、
「どういうこと?」と、99%の人が目をまるくする。


ある時は、活動的な学生が「そんな人見たことない」と驚き、
ある時は、大企業の社長が「面白いやつだな」と興味を持ってくれ、
ある時は、音楽家が、ある時はデザイナーが、ある時は会社員の人でさえ、
「どうして家が無いの?」 と、不思議なものを見るようにこちらを見つめた。
あの瞳の色は、独特だ。


独特だが、ほとんどの人がそう言うものだから、もう慣れてしまった。
その眼差しに慣れる頃には、家が無いことは僕の中では"特別"ではなくなっていた。
家が無いと言えど、所詮そんなものだ。


ただ、家がない。 それだけのことでしかなく、刺激的だった毎日は、再び日常化する。
そもそも、どうして家を無くしたのかを振り返ると、これもまた単純で、
ただ、面白そうだと思ったからだ。人生に刺激が欲しかった。


刺激という言葉に疑問を覚えられることもあるのだが、
やはり、家がなくなるということを、多くの人は恐怖だと捉える。
しかし、本当にそれは、恐怖なのだろうか。
どうしても僕は、そう考えてしまう。


無くすことは恐怖か。
それは、ただ物質のコントロール力を失い、
物質によって反対に心を支配されてしまっているだけではないのか。


もし、そうだとしたら、たまったものではない。
人生を豊かにしようとつくられたものに縛られ、
自由を失ってしまっている自分なんて見てられない。


まさに、衝動だった。
よもや、僕がその時一番大切にしていたであろう西麻布の家を捨てた。
六本木ヒルズとミッドタウンの夜景が眩しい、大きな窓がある大好きな部屋だった。


最後に空っぽになった空間に鍵をかけたあの日から、
かれこれ600日もの時間がたった。
きっとそれが日常化した今だからこそ書けることがあると思う。
春休みは時間がある。
今日から、家の無い「ノマド生活」について、毎日綴っていくことにした。


といっても、自分にとってはただの日常や思うところの記録でしかない。
しかし、現代社会において600日家が無い大学生のあり方は、
きっとこれからの社会に役立つ情報だと信じて。


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